御由緒
開基役行者 真言密教1000有余年・日蓮宗開山500年
妙善寺は、開基役行者
真言密教1000有余年
日蓮宗開山500年
開山は、皇族 泉寿房日脱一身阿闍梨
当山第二世 宗門大験者積善房日閑上人
以来霊験あらたかに皇室の祈願所・徳川家康公願掛けのお寺として栄えて来た、日蓮宗身延山久遠寺直末の寺院です。
日脱一身阿闍梨には、伏見宮家八之宮尊賀親王・徳川家康公・養珠院お万の方様が深く帰依しておりました。
お万の方様は、熱心な法華経信徒で、その功績は著しいものがあり、熱心な信仰は、妙善寺の八幡信仰にも深くかかわりがあります。
八幡信仰は、お万の方様の外護を受けられた、身延山第二十六世日暹上人より、寛永二十一年(1644) 妙善寺第二世積善房日閑上人へ、妙善寺鎮守として、日本最古の石躰正八幡大菩薩を賜わり、八幡御堂を建立し、奉安したことに始まります。
当時、甲斐の国に緒難疫病が流行していた為、八幡御堂において病気平癒の祈祷が行われ、日閑上人秘法楊枝加持祈祷(ひほうようじかじきとう) により、疫病を平癒した事から、霊験あらたかな八幡さんとして、広く知られるようになりました。
当山第二世、宗門大験者
積善房日閑上人の秘法加持祈祷は、皇室の深い信任を得て、後水尾天皇の病気平癒祈祷の勅命を受け、秘法加持祈祷を行い無事に平癒しました。
以来歴代天皇の祈願を賜り、その砌によって、皇室祈願所・疫神遠離楊枝加持祈祷根本霊場、霊験祈祷日本第一の称号を勅許賜りました。
またこの事柄をもって、正親町天皇猶子伏見宮邦房親王の王子 八之宮尊賀親王が、妙善寺へ紺紙金泥妙法蓮華経一部八巻を御親筆奉安なされ、鎮國祈祷を行い皇室繁栄・国家安泰を祈りました。
以来身延山第三十六世日潮上人より祈祷堂中座免許、身延山第四十三世日見上人より永結衆座免許、身延山第六十六世日薪上人より永聖格免許等を賜わり、嘉永七年(1854) 妙善寺第十五世日誠上人(にちじょう)は京都御所参内のおり、孝明天皇より紫紋白、並びに菊花御定紋を勅許賜わりました。
日閑秘伝楊枝加持祈祷は、代々住職に受け継がれ、栄久山妙善寺の法燈と共に、絶えることなく今日に至っております。
楊枝木剣祷発祥の地 栄久山妙善寺